「私が出会った言葉から」


「私が出会った言葉から」
   


「私が出会った言葉から」

                                           根本三夫

 先日、あることとから次の言葉に出会った。既に何処がで話したことと記憶するが、なんとな
く私自身の太極拳に対する考え方に、あらためて反省の気持ちを起こさせることの多きを感じさ
せるので述べて見たい。その言葉とは次のような文で綴られている。
「学んで、然る後に足らざるを知り、教えて、然る後に究めざるを知る。」
誰が云った言葉か、出典が何処かは判らないが、胸にひびく言葉である。
私は、楊名時気功太極拳を、自分の健康のためとして習い始めて長年の経験上、図らずも指導す
る立場に立つことが出来るようになってきたが、果たして指導者としての資質と実力が備わって
いるかと問われると、はなはだ心もとない。むしろ、これで良いのか、という反省と恐れさえ出
てくる。
私は教室では常に、「一緒に勉強させて下さい。」と云いながら稽古を続けている。稽古をしな
がら此処はこうだったのか、これで良いのだろうか、懸命に稽古をしている皆さんに間違ったこ
とを伝えているのではあるまいかと、常に疑心暗鬼の時を過ごしている。まだまだ勉強が足りな
いことを痛感している次第である。
確かに、太極拳は学ぶほどに、究極はないんだということが判ってくる。だから、私の頭の中で
、先の言葉の前半だけがどんどん膨らんでくる気がして、後半の言葉の部分にはまだまだ届いて
いない感じである。払のような、常に迷いながらの指導者と稽古をしている皆さんには、本当に
申し駅ないと思っている次第ある。でも、以前のコラムで、「私は手本にはなれないが、見本だ
と思っていただきたい。」と書いたように、私自身まだまだ勉強中だということを理解していた
だきたいと思っているし、一緒に稽古している人達が、見本である私をどんどん追い越して、本
当の太極拳の良さと、真髄に触れていっていただきたいと念願している。
「学無止境」、「天天学習」、「教則学習」
を念頭に置きながら、毎日を励みたいと思っている。
(追記 先の文書の出典などお判りの方、お教え下されば有り難く存じます。)